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【エルヴィス・プレスリー】母親孝行は尋常ではなかった!?

エルヴィス・プレスリーは、1935年1月8日、ミシシッピ州テピュロでグラヴィス・プレスリー(母)とヴァ―ノン・プレスリー(父)の間に双子の兄弟の弟(兄のジェシーは死産)として生まれました。幼いころから母親に最大の崇拝と信頼を持っていたエルヴィスの、母親に対する絶対の愛情は、彼を知る人なら誰もが一度は耳にしていることでしょう。

エルヴィス誕生

いつも太陽のような存在だった美人のグラディスと町一番の色男と評判だったヴァ―ノンは21歳と17歳の若さで駆け落ちをしました。あまりに若く、住む家もない結婚でしたが、二人は幸せでした。借金して建てた堀立小屋で、やがて生まれたエルヴィスは、貧しいながらも死んだジェシーの分まで大切に育てられたのです。いつも幼いエルヴィスにグラディスが言った「双子の一人が死ぬと、残った子は二人分の力を得る」という言葉は彼自身の心に深く刻まれていたといわれます。また、エルヴィスが3歳の時に彼女に言った「きっと今に僕が立派な家を買ってあげるよ。おかずを買うお金も僕が稼ぐよ。それにキャデラックは2台買うんだ。一台はママとパパのもので、もう一台は僕のだよ。」というセリフ。物心がつくかつかないかの3歳で、母親に対してこのような言葉を発したのは、幼いエルヴィスの精一杯の母親への愛情表現だったのでしょう。

『キング・オブ・ロックンロール』

一番有名なエピソードは、エルヴィスがロックンロールのスター街道を駆け上る架け橋となった、グラディスへ贈ったアセテート盤にあります。ハイスクールを卒業した年のサム・フィリップスの録音スタジオでの出来事でした。トラック運転手として最初に得た給料で、自分のレコードを作り母親の誕生日プレゼントにしようとしたのです。母親の大好きな曲「マイ・ハピネス」、「心のうずく時」という古いバラードをギターの弾き語りで。

エルヴィスの目的は誕生日に母親を驚かすためだけでなく、彼自身の音楽の才能を切り開くためでもあったのだろうといわれています。そんな彼の強い音楽世界に対する熱望が、のちに音楽界の新しい流れをつくるとまでいわれる実力の持ち主だったサム・フィリップスの心に響き、エルヴィスをスターの座へと押し上げることになるのです。

フィリップスのもとでローカル・デビューを果たした、2曲のヒットを残したのち、56年に大手のRCAに移籍。そこからはトントン拍子に彼の名は売れていきます。同年、「ハートブレイク・ホテル」がビルボード・トップ100で七週連続一位を獲得したのをはじめ、なんと18曲をヒットチャートに躍らせ、ついには「キング・オブ・ロックンロール」となるのです。

3歳当時の言葉をついに現実に

自由になるお金が手に入るようになったエルヴィスは、グラディスにメンフィスのオーデュポン・ドライブにプール付きの家と念願のピンクのキャデラックを贈りました。3歳当時の言葉をついに現実のものとしたのです。

そのような幸せの日々に訪れた、真の理解者である母親の突然すぎる死。58年8月、心臓麻痺のための46歳での永眠が、エルヴィスの胸をえぐったのは言うまでもありません。母親の遺体にすがりつきながら声を上げていつまでも泣き続けたそうです。

その後も、エルヴィスの中で変わりなく生き続ける母親への思いは、エルヴィスが34歳になった69年の、彼が特別に作らせた曲「思い出のバラ」や71年の「ロザリオの奇跡」でも読み取ることができます。

彼の異常なまでの母親への愛は、「母の死から生涯立ち直ることができなかった」ともいわれるほど、強く深いものだったのです。

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